受刑者と親族以外との文通を原則自由とした
熊本刑国賠最高裁判決の意義と受刑者処遇への影響

(「CPRニュースレター45号」2006.6.1所収)

 最高裁第一小法廷は3月23日、熊本刑務所の元受刑者が在監中に提起した国家賠償請求訴訟において、二審福岡高裁判決を破棄し原告一部勝訴の判決を行った。

現行監獄法の明文をあっさり踏み越えた画期的判決

 本判決は以下の意味で画期的である。監獄法は、被収容者の文通の相手方について46条1項で「在監者には信書を発し又はこれを受くることを許す」と規定し、同条2項で「受刑者及び監置に処せられたる者には其親族に非ざる者と信書の発受を為さしむることを得ず但特に必要ありと認むる場合は此限りに在らず」と規定している(面会の相手方に関する45条も同じ)。これを素直に読めば、未決拘禁者は誰とでも外部交通できるが、受刑者と被監置者の外部交通は原則として親族に限られ、「特に必要ありと認」められる場合に例外的に許されるにすぎないことになる。
 これが従来の常識で、法務省の運用も本件の一、二審判決もこのような解釈によってきた。しかし、今回の最高裁判決はこの明文の壁をあっさりと踏み越え、受刑者と親族以外の外部交通も原則は自由で、例外的に制限されるにすぎないと読み取れる新解釈を打ち出した。

在監者に関する従来の最高裁判例とその問題点

 獄中者の権利自由の制限に関しては、本判決も引用する二つの大法廷判決がある。一つは喫煙禁止に関する1970(昭和45)年9月16日の大法廷判決、二つ目は「よど号ハイジャック事件」記事抹消に関する1983(昭和58)年6月22日の大法廷判決である。どちらも未決拘禁者に関するもので、受刑者に関する大法廷判決は未だない。今回の判決はこの二つの判例の趣旨を、受刑者の外部交通についても初めて拡張したもので、その意味でも重要な意味を持つ。
 70年大法廷判決の事案は高知刑務所の未決拘禁者が、在監者の喫煙を禁じた監獄法施行規則旧96条を憲法13条(幸福追求権)違反と争ったものである。判決は在監者も一般市民と同様に基本的人権を享有するとの前提に立ち、①「逃走または罪証隠滅の防止」と「多数の被拘禁者を収容し、これを集団として管理するにあたり、その秩序を維持し、正常な状態を保持するよう配慮する必要」の二つを未決拘禁者の権利制限の根拠とした。②制限の程度については「右の目的に照らし、必要な限度において、…合理的制限を加えることもやむをえない」とし、③合理性の判断方法として、「制限の必要性の程度と制限される基本的人権の内容、これに加えられる具体的制限の態様との較量のうえに立って決せられるべきもの」という比較衡量論をとり、④火災の危険等と煙草の必需度等の比較衡量を行って、監獄法施行規則旧96条を合憲と結論付けている。
 83年大法廷判決の事案は東京拘置所の未決拘禁者が「よど号ハイジャック事件」の新聞記事抹消処分とその法的根拠である監獄法31条2項(図書閲読の制限を法務省令に白紙委任している)及び監獄法施行規則86条1項(抽象的で広範な制限を定める)が、憲法19条(思想・良心の自由)、21条(表現の自由)に違反すると争ったものである。精神的自由権の制限はより厳格でなければならないとされおり、図書閲読の自由を広範に制限する監獄法31条2項、同施行規則86条1項は違憲の疑いが強い。83年判決は、受刑者の図書閲読の自由は憲法19条、21条、13条によって保障されると明言した上で、①これを制限する根拠として70年判例を踏襲して「逃亡及び罪証隠滅の防止という勾留の目的」と「監獄内の規律及び秩序の維持のために必要とされる場合」の二つを挙げ、②制限の程度については「右の目的を達するために真に必要と認められる限度」と70年判決よりやや厳格化し、③合憲性の判断基準として「当該閲読を許すことにより右の規律及び秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、被拘禁者の性向、行状、監獄内の管理、保安の状況、当該新聞紙、図書等の内容その他の具体的事情のもとにおいて、その閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、右の制限の程度は、右の障害発生のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である」という新しい基準を定式化した。
 その上で、④この基準の具体的適用に当っては「当該新聞紙、図書等の閲読を許すことによって監獄内における規律及び秩序の維持に放置することができない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が存するかどうか、及びこれを防止するためにどのような内容、程度の制限措置が必要と認められるかについては、監獄内の実情に通暁し、直接その衝にあたる監獄の長による個個の場合の具体的状況のもとにおける裁量的判断まつべき点が少なくないから、障害発生の相当の蓋然性があるとした長の認定に合理的根拠があり、その防止のために当該制限措置が必要であるとした判断に合理性が認められる限り、長の右措置は適法として是認されるべきである」と定式化し、⑤当時の東京拘置所に公安事件の被告が多数収容されていた状況などから「所長の判断に裁量権の逸脱又は濫用の違法」はないと結論付けた。
 70年判決と比較した83年判決の新規さは、③の「具体的事情のもとで放置できない障害が発生する相当の蓋然性」という合憲性判断の基準と、④の「蓋然性判断に関する所長の裁量権」論である。③については、精神的自由権の制限に関する合憲性判断の基準としてはアメリカの憲法判例に比べて緩すぎるという批判がある一方、最高裁の他の判例と比較すれば厳格な方だという評価もある。④については、これでは合理性の認定を所長に白紙委任するに等しく、合憲性判断の基準をいくら厳格化しても無意味になるという批判が強い。

本判決の射程と残された問題点

 本判決は、受刑者の信書の発受権が憲法21条(表現の自由)の保障に含まれることを明言し、未決拘禁者の図書閲読の自由に関する83年大法廷判決の「具体的事情のもとで放置できない障害が発生する相当の蓋然性」の基準を、「受刑者の改善,更生の点において」という一言を加えてそのまま受刑者の信書の発受権に適用している。これによって、83年判決の基準が受刑者の精神的自由権の制限についても適用されることが、判例上確定した。
 本判決は信書の発受に関するものだから、受刑者の面会権については本判決の射程外である。しかし、受刑者の面会権が憲法21条(表現の自由)の保障に含まれるとすれば、判例理論から見て本判決と同じ基準が適用されざるをえない。この点に関しては、最高裁第三小法廷1991(平成3)年3月9日判決が、未決拘禁者の面会について「具体的事情のもとで放置できない障害が発生する相当の蓋然性」の基準を適用し、子供面会を禁じた監獄法施行規則旧120条を監獄法の委任の範囲外で違法とした。この判決が、未決拘禁者の面会権が憲法21条の保障を受けるか否かに触れずに「具体的事情のもとで放置できない障害が発生する相当の蓋然性」の基準を適用した点には批判がある。しかし、憲法21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を広く保障しているのであり、信書の発受も面会も受刑者の自由なコミュニケーションの権利として憲法21条の保障に含まれることは疑いがない。91年判決も本判決もこれを当然の前提としていると思われる。
 本判決には、悪評の高い「蓋然性判断に関する所長の裁量権」論は登場していない。それは、たまたま熊本刑務所が受刑者と親族以外との信書の発受は「例外」と決めてかかって、それ以上の検討をしないで不許可にしたからだ。本判決を教訓に刑務所側が「傷害発生の相当の蓋然性」を主張してくると、「蓋然性判断に関する所長の裁量権」論が再び登場し、結論が覆ることも十分にありうる。また、本件では信書の発信先が新聞社で、しかも同じ内容を国会議員に送付済みという、原告側に有利な事情があった。発信先が一般市民であった場合、最高裁が今回と同様の認定するかは不明というほかない。

受刑者処遇法の外部交通規定と本判決の影響

 本判決は、受刑者の外部交通の相手を拡大する受刑者処遇新法の規定を先取りしたものともいえる。新法成立によって既に流れが決まったと見るやこの判決である。さすがに最高裁は機を見るに敏というほかない。政治的パフォーマンスとも言える。しかし、いまだ固まっていない新法の解釈・運用を後戻りさせることを不可能にしたという意味では、無視できない意義がある。
 新法93条は、信書の発受について「この節、第103条〔引用者注・外国語による信書〕及び次章〔引用者注・:懲罰〕の規定による場合のほか、これを禁止し差し止め、又は制限してはならない」として原則自由を明記した上で、95条で例外的に「犯罪性のある者その他受刑者が信書を発受することにより、刑事施設の規律及び秩序を害し、又は受刑者の矯正処遇の適切な実施に支障を生ずるおそれがある者」との信書の発受を禁止できるとしている。
 この規定の解釈・運用で懸念される点は、①「刑事施設の規律及び秩序を害」するおそれや②「受刑者の矯正処遇の適切な実施に支障を生ずる」おそれが拡大解釈され、文通できる友人の範囲が極限されるのではないかということである。しかし、本判決により①②ともに「一般的、抽象的なおそれ」では足りず、「具体的事情のもとで放置できない障害が発生する相当の蓋然性」が要求されることが明確にされた。
 問題は「蓋然性判断に関する所長の裁量権」論も同時に適用されることだが、これに関して言えば、①は未決拘禁者にも共通する要件だが旧法下でも未決拘禁者の信書の発受自体を差し止めた例はまれであることが、有力な反論となる。②については、新法88条が「この章が定めるところにより、受刑者に対し、外部交通を行うことを許し、又はこれを禁止し、差し止め、若しくは制限するに当たっては、適正な外部交通が受刑者の改善更生及び円滑な社会復帰に資するものであることに留意しなければならない」と特に注意規定を置いていることが、所長の裁量権を制約する。
 面会については、新法89条1項が親族・重要用務者・改善更生に資する者との面会を権利として認め、2項でそれ以外に者との面会を①「交友関係の維持その他面会することを必要とする事情があり」、かつ②「面会により受刑者の矯正処遇の適切な実施に支障を生ずるおそれがない」ときに、例外的に「許すことができる」としている。
 このように新法でも、一般面会については一般文通の場合とは原則と例外が逆転して、現行監獄法により近い規定になっている。しかし、本判決の基準が面会にも適用されるとすれば原則と例外は再び逆転し、結局のところ「具体的事情のもとで放置できない障害が発生する相当の蓋然性」があるか否かが面会の許否を決する決め手とならざるをえない。それは親族以外との外部交通を明文で例外と規定している現行監獄法の規定を本判決が覆したのと同じ理屈である。その意味で、本判決は信書については新法の先取りであるが、面会に関しては勢い余って新法をも乗り越えてしまったと言えるかもしれない。

本判決の全文:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20060405104625.pdf